雙葉日記

2026.07.08

高3 黙想会

「なぜ学ぶのか」「なぜ生きるのか」といった根本的な問いに向き合えた一日でした

 6月24日(水)に、高3学年での「黙想会」が行われました。長崎南山中学校・高等学校の校長を務めておられる西経一神父様をお招きし、進路や学習に向き合い続ける日常から離れて、ゆったりした時間の流れの中で、一日かけて神父様のお話に静かに耳を傾けました。神父様はユーモアあふれるお話を通して、物事の「そもそも」を考える機会を作ってくださいました。

 なぜ今勉強をしているのか、なぜ我々は存在しているのか、といった問いに対して、生徒それぞれが自身の経験と照らし合わせてよく考え、これから迎える受験そして卒業後の自身の在り方について思いを巡らせることができました。

・「よく人を“こういう人だ”と定義づけてしまうことがあるが、人は常に変わり成長していくため、枠の中に定義づけることはできない。それが人間である。」この神父様の言葉は自分にとって励ましの言葉になると同時に、自分も他人を枠組みの中にとらえることがないようにするという教訓もあると思った。4回の講話を聴いて、受験を控える自分達の役に立つ考えを学び、自己を見つめることができたと思う。

・人間は枠の中にとらわれないでいつでも枠を破って新しい自分になれるし、自分自身のことを尊重して生きるのが大切だと分かった。そしてそれは自分だけではなく、他の人もみんなできると信じることが大切だということをも知ることができた。自分自身の一番のライバルは他の誰でもない昨日までの自分だということを心に留めて勉強を頑張りたい。

・読解力を身に付けた人は他者をいたわることができるというお言葉が印象に残った。背景から他者の痛みや状況を読み取り、推測して想像して寄り添うことのできる「人間」になるために懸命に学びたい。本当の目的のために学ぶことを大切にしたいと感じた。

・人に親切をしたときはさっと去りなさい、という言葉が印象的だった。せっかく良いことをしたのに、恩着せがましくありがとうを待つなどして逆に迷惑がられるのはもったいないなと思った。だからこそ、さっと人のためにできるような人になりたいと思った。それによって相手が幸せになって、自分も幸せになれたら、それこそ生きる意味にもつながるのではないかと考えた。

・自己の可能性を信じ、いつもどこか必ず成長できると信じながら進んでいきたい。今その場にとどまっているように思えても、決して立ち止まらず歩み続けたい。

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