自分がなぜ学ぶのか、学んだことをどう生かすのかを考える機会となりました
6月26日(木)に高3学年での「黙想会」が行われました。長崎南山中学校・高等学校の理事長・校長を務めておられる西経一神父様をお招きし、進路や学習に向き合い続ける日常から離れて、ゆったりした時間の流れの中で、一日かけて神父様のお話に静かに耳を傾けました。神父様のお話では、ユーモラスな語り口の中にも、心を揺さぶる言葉が随所にあり、とりわけ「自分が今、学んでいる理由」を探すことができたという生徒の感想が多くありました。これから「受験の天王山」といわれる夏を迎える高3生にとって、受験勉強は決して受け身なものでなく、物事のもつ背景や相手の状況を多層的に理解できるようになるため、つまり「人間になる」ために学ぶのだと、生徒一人ひとりが納得し、実感することができ、有意義な一日となりました。
◆生徒の感想より◆
・今日は私にとって忘れることのできない貴重な体験だった。正直、勉強に追われて自分に負けそうになっていた私にとって個人的に心にしみたことがたくさんあった。何のために私は勉強して、本当にその大学に行きたいのかが分からなくなってむやみやたらに机に向かっていたが、自分の幸せのためではなくいつか出会う人の幸せのため、学力を上げることは読解力を上げることだから人の痛みや寂しさを理解できるひとになるために、これからも一生懸命歩んでいこうと思った。合格不合格のために苦しくなることもあるが、おまけに合格がある、成長することでついてくるものと考え、ひたすらにあきらめず努力していこうと強く思った。私にとって、人生観が変わるよい機会だった。
・人を幸せにすることで自分も幸せになるのは、まさにその通りだと思った。私が生きている理由は、人を傷つけるためでも、他人に迷惑をかけるためでもない。神様が唯一無二の私をお創りになったのは、私が世界に必要とされていて、人を笑顔にすることができるとお思いになったからだと思う。そのために、今私は本当の自分に立ち帰って、努力しなければならない。自分の後の報酬のためではなく、人のために努力することを常に念頭に置いて、勉強を一生懸命頑張りたい。