本校卒業生の方のご挨拶を紹介します
去る5月18日(日)の同窓会総会で行われた「古稀の祝い」の挨拶で読まれた、新25回卒業生である曽根和子様の挨拶をここに紹介いたします。本文にある「新校舎」は、現在の校舎が新築される前の校舎になります。この校舎で学んだことのある卒業生にとっては、懐かしい思いが蘇るのではないでしょうか。
私達は昭和四十二年、静岡雙葉学園に入学いたしました。
中一東、石橋先生、西、丹治先生、南、長田先生、北、渡邊龍子先生の担任で私達の雙葉生活がスタートしました。東西南北のクラス、初めての制服、シスターの存在、お御堂、修道院、何もかもが小学校とは違う、新しい環境でした。
当時はシスターが修道服を着用されていて、頭もしっかりベールで覆われていました。
冬は黒の修道服、それが夏になって一斉に真っ白な修道服になる時は眼を見張る思いがしたものでした。
私達が入学した時の校舎は内堀に平行に沿って建つ、緑色の木造校舎です。半地下の理科室、図書室、裁判所側に斜めの階段を昇る音楽室…。
昭和四十二年というと新校舎建設の時期にあたり、古い木造校舎と白い鉄筋の校舎が並び立ち、木造校舎がだんだん姿を消していく時でした。
私達は木造校舎に入学した最後の学年になります。
この木造校舎は昭和二十年六月十九日の静岡大空襲で学校が跡形もなく焼け落ちた後、戦後になって物資のない中、教職員と生徒と父兄が手を取り合って復興をめざし、再建した建物でした。
当時、焼津に住んでいた私の叔母は、あの日、焼津から静岡の空が真っ赤に見えたと後年、語っていました。
校舎がすべて焼け落ちたにもかかわらず、教職員、生徒に一人の死者も出なかったのは奇跡と言っていいほどのことでした。
鉄筋の新校舎の建設は着々と進み、中学一年の七月、私達は新校舎に引っ越しました。
中学一年は五階ということで自分の机と椅子を五階まで運んだこともいい思い出です。
白い鉄筋の校舎は、駿府城の松の緑、石垣の黒を借景とし、周りとの調和が大変美しい校舎でした。
さらに特別校舎に向かう渡り廊下からは外堀の石垣にミモザの黄色が映え、本校舎の斜路からは中庭の八重桜が濃いピンクの花を見せ、鉄筋の近代的な建物でありながら日本建築の回廊の美しさを私たちに教えてくれました。
中学・高校の六年間は私たちにとって思い出の多い、かけがえのない時間となりました。
卒業して五十年以上が経ちますが、雙葉時代の友人は今も私の支えとなってくれています。私は今日、壇上でお話しさせていただいていますが、この会場にいる同級生が私の背中を押してくれていると感じます。
時代は移り、私たちが想像もしなかった方向へ変わりつつあります。女子校のかじ取りは今、難しい局面に立っていることと思います。
変わっていくものと、変わらずに残したい精神を調和させ、母校の今後の発展を願ってお礼の言葉とさせていただきます。
令和7年5月18日
新25回卒業生 曽根和子
「学園の日」の共同祈願での教員代表の言葉に、「122年間、多くの人を支えてきたこの学園に今、私たちが関わっていることの尊さを心に刻み、互いに支え合って歩んでゆけますように。多くの先生、先輩方の取り次ぎによって私たちの願いを聞き入れ、歩みを支えてください」という祈りがありました。忙しい日常をふと立ち止まり、はるか昔の創立者から代々の旧職員へ、そして現在の私たちへ、そこから未来へと受け継がれる想いを感じながら歩んでいきたいと感じられます。