2026年1月19日
新しい週のはじまり、大寒を明日に控えて冷え込む冬の日、小筆の先のような水仙の蕾が膨らみ始めている朝です。今日もよくいらっしゃいました。朝のひととき、心を合わせ、祈りましょう。
先週のことですが、宗教や社会の先生として、カトリックの信徒として、父として、また祖父として、愛と奉仕の心で他者のために他者とともに生き抜いたある教育者が、神さまのもとへ召されました。
彼がキリストに倣う者として生き方の信念と語っておられたのが、「苦しむ人々と出会い、この人たちのために何かをせずにいられないと全身で感じた原体験から出発して、その思いを貫いて生きること」でした。この言葉は、教育理念にイエス・キリストの似姿として歩むことを掲げる雙葉に流れる校風、この学び舎で過ごす人に望まれる生き方に共通するものと言えるでしょう。
お別れの式で配られたカードには「死ななければならないことを悲しむより、生まれてこられたことを感謝できますように。別れなければならないことを嘆くより、出会えたことを感謝できますように。すべては恵みであることをいつも忘れずにいられますように。*」という言葉が選ばれ、記されました。
私たちもこれらの言葉に表れるような生き方の指針をもちながら、自らの人生を創っていくことができるよう願い、手を合わせて祈りましょう。
*『悲しみの向こう』片柳弘史(教文館)
共に生きる恵みを願う祈り
主よ、教えてください。
自分だけを愛さないことを。
身内だけを愛さないことを。
仲間だけを愛さないことを。
人のことも考え、だれからも愛されない人を
優先して愛することを。
主よ、分からせてください。
わたしがあなたのおかげで
幸せな日々を送っている今、
刻一刻と、
あなたの子、わたしの兄弟である数知れない人々が、
自分たちが悪いわけではないのに
飢えて死んでいくことを。
こごえて死んでいくことを。
苦しむ人びとをいわれもなく退けた
このわたしをゆるしてください。
幸せをひとりじめすることを
わたしにさせないでください。
全世界の苦悩を、わたしにも感じさせてください。
主よ、利己主義からの解放こそ
あなたはお望みなのですから。