雙葉日記

2025.12.01

今朝の祈り

2025年12月1日

新しい月、新しい週のはじまり、冷たい木枯らしに落とされた木の葉を目で追うと風が見え、誰かに集められたわけでなくても、仲良くぎゅっと吹き寄せをつくる色とりどりの葉が足もとを賑やかにする朝です。

今日もよくいらっしゃいました。朝のひととき、心を合わせ、祈りましょう。

皆さんは、なにかをじっと待っているということは得意でしょうか。

日常のあらゆるものの便利さが追及され、求めれば何ごとも素早くサービスとして提供される現代においては、「待つ」ことは少し苦手なことになりつつあるのかもしれません。

カトリック教会の暦では、待降節に入りました。救い主の降り立ちのしるし、大いなる喜びを待ち望みながら、私たちの背を支えるもの、本当に大切なものごとについて思いめぐらすひとときです。スピードの速い世の中、特に何もかもが忙しなく過ぎ去っていく年の瀬に、時間をかけて何かを待つことの大切さも思い出させてくれる特別な期間でもあります。

私たちの道の先には、自分のことを待っている誰かや何かが必ずあります。今ここだけの出来事や自分の姿だけに振り回されることなく、いつもたえず希望を携えて歩んでいくことができるよう願いながら、手を合わせて祈りましょう。

待降節の祈り

神よ、イエス様の誕生を待ち望んで祈ります。

日頃、わたしたちは、あなたの愛から離れ、

自己中心的な思いにとらわれてしまうことがあります。

わたしたちが、この世界や、自分の中の闇に気付き、

心からイエス様の誕生を迎えることができますように。

そして、自分の弱さや欠点もイエス様のやさしさのうちに受け入れ、感謝の心で人々に奉仕できるように

助けてください。

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