2025年11月10日
新しい週のはじまり、雨上がりの空の週明けを喜ぶような鳥のさえずりが聴かれ、色づいた山肌を覆った霧の香がゆっくりと空へ昇っていく朝です。今日もよくいらっしゃいました。朝のひととき、心を合わせ、祈りましょう。
カトリック教会では11月を死者の月として、亡くなられた方のために祈る習慣があります。本校でも月末に関係者の皆さんの死を悼むごミサが捧げられます。
私たちは限りある今の積み重ねを生き、その尊い時間を誰かと分かち合いながら過ごしています。その尊さゆえに大切な誰かを失う悲しみは、私たちを絶望の淵に立たせ、大きな喪失感をもたらします。時に励ましの言葉も砂漠を小さな水の雫で潤すようなものとなり、悲しみの癒しにはとても長い時間が必要です。ここにいる一人ひとりがそうした誰かの悲しみに寄り添える人でありたいものです。
死は終わりを告げるものではなく、つながりは永久に続くもの、そして亡くなる方が生きてこられた道やその最期の姿は、生きていく私たちを愛に根差した生き方へと導く贈りものです。死者のための祈りは、悲しみを越えて、新たな希望と愛を願う祈りです。直接会うことはできなくても、今も皆さんの心に生き、見守り、その背を支えてくださる方のために、そして私たちが命いっぱいに生きていくことができるよう願いながら、手を合わせて祈りましょう。
亡くなられた方のために祈る
信じる者の光である神よ、
あなたは、御ひとり子の死と復活によって、
わたしたちをあがなってくださいました。
亡くなったわたしたちの兄弟、またみ旨に従って生活し、
今はこの世を去ったすべての人を、
あなたの国に受け入れてください。
あなたのもとに召された人々が、
すべての罪から解放されて、永遠の光のうちに迎えられ、
復活の栄光にあずかることができますように。