2025年10月20日
新しい週のはじまり、南天の実は色づき、金木犀の花の香りが風に乗る朝です。今日もよくいらっしゃいました。朝のひととき、心を合わせ、祈りましょう。
明日から高校2年生が広島・長崎へ、来週には中学3年生が沖縄へ出かけますね。
終戦から80年、証言者の声を聴くことも年々難しくなり、私たちには残された資料や遺構から放たれる無言の叫びを聴きとる力がより求められています。
「過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです。」紛れもなく「人間のしわざ」であった戦争について、その惨禍を見聞きし、起きた物事に対してなぜ?と問うとき、私たちの心にはどんな答えが浮かぶでしょう。それぞれの心のうちで出していく答えから、二度とその惨禍を繰り返さない誓いの上に生きていく責務が、いまを、そして未来を紡ぐ私たちにはあるのでしょう。人は戦争もできますが、きっときっと平和を打ち立てることもできるはずです。戦争や平和を知識として知るだけ、願うだけにとどまらず、築いていくことに貢献できる力を願いながら、手を合わせて祈りましょう。
平和を願う
神よ、あなたの平和のためにわたしを役立たせてください。
憎しみのあるところに、愛が、
争いのあるところに、和解が、
分裂のあるところに、一致が、
疑いのあるところに、信頼が、
誤りのあるところに、真理があるように働かせてください。
絶望から、希望へ、
悲しみから、喜びへ、
やみから、光へ、わたしたちを歩ませてください。
神よ、慰められることよりも、慰めることが、
理解されることよりも、理解することが、
愛されることよりも、愛することができるようにさせてください。
与えることによって、与えられ、
ゆるすことによって、ゆるされ、
あなたのためにいのちをささげることによって、
永遠のいのちが受けられます。
(アシジのフランシスコの祈り)