2025年10月6日
新しい週のはじまり、道端のエノコログサが麗らかな青空に向かって背を伸ばす今夜は十五夜、中秋の名月を眺めることはできそうかと空模様の気になる朝です。今日もよくいらっしゃいました。朝のひととき、心を合わせ、祈りましょう。
コスパやタイパ、スペパなど、限られた物事に対する最大限の成果を求めようとする言葉がよく使われる昨今、ビジネスの場はともかくとして、日常や営利に関わりのない場にもそのような効率主義が持ち込まれすぎると、やや息苦しく感じることもあるのかもしれません。
私たちの周りには求めさえすれば、さまざまな意味や目的にあふれ、しばしばその意味や目的を見出しにくいものは無駄であるかのように切り捨てられそうになる場面があります。私たちの言葉や行い、存在そのものの価値の有無が、そのような判断基準や役に立つかどうかだけによって決められるようになってしまえば、その一人ひとりの内からあふれ出るいのちの煌めきは、輝きを失います。
ただ好きであることや、少々効率が悪くともがむしゃらに向かうこと、何気ない喜びのとき、ちょっとした自分のこだわりもまた、神さまが私たちの大切な一部分としてくださったものです。宿泊行事など自分を見つめ直す機会も多い10月、自分が自分であることの恵みにあらためて気づくことができるよう願いながら、手を合わせて祈りましょう。
朝の祈り
新しい朝を迎えさせてくださった神よ、
きょう一日わたしを照らし、導いてください。
いつもほがらかに、すこやかに過ごせますように。
物事がうまくいかないときでもほほえみを忘れず、
いつも物事の明るい面を見、最悪のときにも
感謝すべきものがあることを、悟らせてください。
自分のしたいことばかりではなく、
あなたの望まれることを行い、
まわりの人たちのことを考えて生きる喜びを
見いださせてください。