雙葉日記

2025.05.26

今朝の祈り

2025年5月26日

新しい週のはじまり、5月も最後の週を迎え、お濠の土手の紫陽花のつぼみが膨らみ始めた朝です。今日もよくいらっしゃいました。朝のひととき、心を合わせ、祈りましょう。

皆さんは何か目の前の物事の意味について考え、思いめぐらすことはあるでしょうか。

学ぶ意味、働く意味、私が今ここにある意味、生きる意味、そして死の意味、人はさまざまな物事の意味を問い、問いの中で得られた自分の納得できる意味を、自らの歩みを前に進める力にすることができます。「意味への意志」とも呼ばれる、人の意味に対する欲求は、時に、生きる力そのものになるのでしょう。一方で、意味と価値を同じように扱い、意味を見出せないものには価値もないように考えてしまう乏しさ、貧しさも人はもっています。

集中して勉学に励むことのできる今、身につけようとしているのは、この世に用意されたものの意味をより深く問い、より善く、豊かな生き方へと近づいていく力なのかもしれませんね。どんなときも、それでも今まさに“神はあなたを愛している”という普遍的な真理、最もシンプルで一番大切なことを、存在の究極の意味として教えるカトリックの学び舎に学ぶ私たちにとって、意味への問いの先に導かれる真理はどんなものなのか、思いめぐらせながら、手を合わせて祈りましょう。

主の祈り

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。

わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

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