「相手に寄り添い、与える」ことの大切さを教えていただきました
12月2日(火)に、サレジオ会司祭の関谷義樹神父様をお迎えして、中3の「黙想会」が行われました。日程は、以下の通りです。生徒の感想とともにお伝えします。
【神父様のお話(1)】
・最近、もう15歳か、と思っていたので、神父様の人生のお話は心に残りました。人生というのは生まれた時から隣に死が常にあり、残り時間があるということだと学びました。その貴重な時間をどう生きたいのか、どのように工夫するのかは、自分で決められるのだから、自分が生きたい生き方をしようと思いました。
・「唯一の」「かけがえのない」という言葉は「代用のきかない」という言い換えができるということを聞いて、「君は君しかいなくて、他に代わりはいない。代わりなんていないから苦しいけど、代わりがいないから生きていく」という言葉を昔もらったことを思い出しました。「~しか」ではなく、それを持って大切にしていかなければならないこと。「1タラントンしか」ではなく、「1タラントン=6000万円」の価値に気付き、生かせるかどうか。その部分で私たちは神様に試されているのかなと思った。
※タラントン=ローマ時代の通貨の単位で、現代の才能や能力を指す「talent(タレント)」の語源となる言葉

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【協力ゲーム】
・「協力ゲーム」と聞いて、最初に思い浮かべたのは、グループで話し合いながら進めていくゲームだったので、話さずに協力すると知り驚きました。それと同時に不安もありました。いざやってみると、誰か1人が(正方形になるパズルのピースを)取りまちがえてしまうと皆そろわなくなってしまうので、他の人が取りまちがえているのに言えないもどかしさや、自分がまちがえていないかという不安など、言葉を交わせないことで生まれる感情がうずくまっていきました。一人ひとり見てきたことも経験してきたことも違うのだから、協力するなんてそもそも無理な話のように思えますが、協力は一人ひとりがその気持ちを持つことからがスタートラインなのかなと思いました。「協力」が「力」の字を重ねてできているように、協力することは周りに合わせて自分を潰したりするのではなく、自分の持つ力を周りに与えるということが本当の協力の形なのかなと思いました。
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【神父様のお話(2)】
・(協力ゲームから)私たちは自分だけでは成長できない。お互いがお互いを助けることで、人間は成長していく。また互いに与え合うことで完成されるけれども、それが必ずしも完成しているとは言えない。自分だけが完成しても、それは他者の完成を邪魔しているともいえる。他者と共に完成するため、与え与えられ、時には相手を待つことも大切だ。
・「隣人を愛する」ということは、相手を中心として考えたときに自分がするだけではなく、自分から近づいてその人に自分を少し与えること、つまり自分を犠牲にして自分の一部を捧げることが大切だと感じました。そしてその「愛する」ことをしないのは無関心である、という言葉が頭に残りました。自分から近寄ってその人の隣人になることは、その相手を自分のように愛していないとできません。自分中心で物事を決めるのではなく、相手を中心として考えたいです。
【神父様のお話(3)】
・「感謝」は、無償で与えられる「恵み」と「ありがとう」とセットであることを知りました。目に見えるものごとの後ろにある、目には見えない恵み、つまり他者からの支えや助けに気付ける人になりたいです。
・「アンパンマン」はイエス様を表しているのではないかと言われているらしい。誰かを助けるアンパンマンは、自分の顔を犠牲にしており、いわば彼の行動は「隣人愛」かもしれないと感じた。
(※神父様は、講話の中で「アンパンマン」の紙芝居を用いながらお話をして下さいました)

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黙想会を通して、「自分だけでなく、相手の立場に目を向ける」ことや、「相手に寄り添い、自分の持っているものを与える」ことの大切さを、それぞれの中で実感できたようです。この日の学びを活かし、今後迎えるクリスマスの「本当の意味」を胸に留め、学校行事の「クリスマス訪問」や「クリスマスミサ」に臨んでいってほしいと思います。