神様の「み言葉」を、この一年の歩みに生かせるようお祈りしました
4月21日(月)、講堂にて、梅村昌弘司教様・牧山善彦神父様・林健久神父様の司式により「み言葉の祭儀」が行われました。「み言葉の祭儀」とは、全校生徒が講堂に集って『聖書』の言葉に耳を傾け、共に祈る大切な時間です。『聖書』には、神様の「み言葉」が書かれています。静岡雙葉で学ぶ私たちが、神様の「み言葉」に支えられ、共に祈りながら日々を過ごせるよう、気持ちを一つにして新年度最初のミサにあずかりました。また、各学年の代表生徒による共同祈願では、新年度を迎えるにあたり、それぞれが目標を持って歩めるよう、心を込めて神様にお祈りしました。
梅村司教様のお話の中では、「神の似姿」という言葉についての説明をいただきました。これは「我々にかたどり、我々に似せて人間を造ろう」という『創世記』(1章26節)による言葉で、一人ひとりの中には、様々な形での神様の素晴らしさが宿っていることを意味します。このことを心に留め、誰もがありのままで素晴らしい存在であり、それぞれ違った良さを持っていることを互いに認め合い、活かしていきましょう、というメッセージがありました。このメッセージは、本校の生徒が卒業時に目指す姿としている「一人ひとりが神に生かされているかけがえのない存在であることに気付いている」「ありのままの自分を受け入れ、自分自身を表すことができる」というものにも繋がります。生徒たちが新たな環境の中でお互いを認め合い、仲間との繋がりの中でよりよい学校生活を送っていくことを願っています。
◆第一朗読 「テサロニケの信徒への手紙一」5章12~22節◆
兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しなさい。互いに平和に過ごしなさい。兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。“霊”の火を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。
◆福音朗読 「マタイによる福音」7章7~12節◆
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。