年度の初めに聖書のことばに耳を傾け、共に祈りを捧げました
4月17日(月)、講堂にて、林健久神父様の司式による「み言葉の祭儀」が行われました。「み言葉」とは神様があわれみの心をもって下さった言葉、聖書の言葉のことです。年度の初めを迎えた今、聖書の言葉に静かに耳を傾け、それらが今後も各々の中に生かされるよう皆でお祈りしました。
◆第一朗読 「ペトロの手紙」5章5~7節◆
愛する皆さん、皆互いに謙遜を身につけなさい。なぜなら、「神は高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。だから、神の力強い御手のもとで自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
◆福音朗読 「マタイによる福音」5章13~16節◆
そのとき、イエスは言われた。「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない、燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
これらの聖書のことばについて、神父様は次のように語られました。
「〈地の塩・世の光〉について皆さんに注目してほしいのは、皆さんが〈地の塩・世の光〉になりなさいというのではなく、今の皆さんが〈地の塩・世の光〉として、ありのままの自分自身を認め、人々の前で輝かせてほしいということです。第一朗読にも〈謙遜〉という言葉がありましたが、それは〈ありのままの自分を認める〉ということも意味します。そうすることで、自分だけでなく周囲の人を認め、自分の本来の力を存分に発揮でき、互いに生かし合えることができます。」
また、私たちにとっての聖書のあり方について「聖書は、世界中の人々の永遠の道しるべとなります。聖書の教えの中には〈こんなことは自分には到底実践できない〉というものもありますが、これは〈守って当たり前〉という道徳でも、〈マスターすべきもの〉という教科書でもありません。どんな聖人でも実行し尽くすことができないが、だからこそ永遠の道しるべであり得るものなのです」とも教えて下さいました。
中一生はこの祭儀にあたり、全員聖書を手に持って臨みました。祭儀の最後に、神父様は「みなさんにとって、この聖書がずっと、生き方の道しるべとなりますように」と祝福を下さいました。生徒たちは大切そうに両手で聖書を持ち、神父様のお話の重みを感じながら祝福を丁寧に受け取りました。これから宗教の授業や宿泊行事の錬成会などを通して、聖書のことばを自分なりに味わい、豊かな恵みとして生かしていってほしいと思います。