雙葉日記

2021.01.22

3分間スピーチ

この一年を振り返って

雙葉日記をいつもご覧くださり、ありがとうございます。

高2のロングホームルームではこの時期、生徒たちによる3分間スピーチを実施しています。自分自身の思いをクラス全員に向けて話すというものです。与えられた3つのテーマから1つを選び、原稿を準備します。今日は一人の生徒のスピーチを紹介します。

テーマ「自分が雙葉生として思うこと、考えること」 

「徳においては純真に 義務においては堅実に」静岡雙葉中学校に入学したての春、私たちは宗教の授業で雙葉の校訓と、そこに込められた意味を学びました。今から約5年前、12歳だった私は先生からその一文に込められた意味をただ何となく、雰囲気を感じる程度にしか理解していなかったはずです。それから月日は流れ、現在高校2年生となり、身長も伸び、大人の女性へと少しずつ成長してきました。そして、精神的な面においても成長を感じられるようになりました。私の場合、その最たることの一つに「自身が雙葉生である」ということを生活の一瞬一瞬の場面や状況で感じるようになったことが挙げられます。

例えばお祈りの時間、帰りのSHRでの1分間の沈黙ー。雙葉で過ごす一日の中で、その場が静寂に包まれる瞬間が折々あります。今では当たり前となった習慣の一つであり、私たちの身体に自然と染み付いている習慣ではありますが、これもおそらく、先ほど述べた校訓の場合と同様にそれを行うことの本当の意味を、中学一年生の頃の自分は考えてすらいなかったでしょう。「なぜ沈黙をするのだろう、何の意味があるのだろう」そのように、ただただ義務的に沈黙の時間を迎えていた私ですが、高校1年生の時、あることがきっかけとなりその答えに辿り着いた、と感じるようになりました。

それは現代文で『失われた両腕』の授業で得た学びからでした。ミロのヴィーナスを鑑賞する際、一見その両腕の欠陥に彫刻としての不完全性を覚えるかに思われがちだが、両腕がないということにより、却って人々がそこに無の価値を見い出し、無限の想像力を掻き立てられるー。筆者のメッセージはまさに沈黙の時間に訪れる「無」の時間の意味にも通じるものがあるとその頃から私は考えるようになりました。今まで自分が意味を見い出しきれずに行ってきた雙葉生としての行いにも実は大切な意味があると気づかされたのです。

現在、社会や世界で起こっている出来事や目まぐるしい日々の中で、ふと一呼吸おいて自分の浮ついた心を落ち着かせる。何気ないことですが、様々なことに対して無限の想像力を働かせることを意識的に行えるようになりました。これは今までカトリック校の静岡雙葉で得た一つひとつの学び、また宗教に関連する行事、その数々の積み重ねから成り立った奇跡によるものであると実感しています。この実感は雙葉生の一員としてでなければ感じられませんでした。

これから進路実現に向かうにあたり、校訓にも述べられているように、日々一つ一つに誠意を尽くし、真心を持って全力でやり遂げる。そして何より雙葉生であるという自分のアイデンティティーを常に見失うことなく、残り約1年という有限の刻を丁寧に歩んでいきたいと思います。

この企画は再来週のロングホームルームまで、全3回で行っていきます。

(写真1)この一年を振り返って自分自身の思いを綴り、クラス全員に向けて発表するという企画。聴く側も全身で友人の思いを受け止めていた。

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