雙葉日記

2022.02.28

高3 卒業感謝ミサ

受験を終えた高3生が久々に集い、6年間の感謝を祈りに込めました

 2月28日(月)の1時間目の時間帯に、講堂にて、高3学年の「卒業感謝ミサ」が行われました。司式は静岡教会の和野信彦神父様です。

 聖書朗読では、次に紹介する部分が読まれました。これらはまさに、6年間同じ仲間と過ごし、そしてこれから自らの道を一歩踏み出す高3生にふさわしいメッセージを持っています。

◆「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。 …(中略)…もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。 そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。 すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。 目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、また、頭が足に向かって『お前たちは要らない』とも言えません。 それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」

(新約「コリントの信徒への手紙 一」12章14~22節)

◆「イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。そして神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、次のように言われた。『旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。…(後略)』」

(新約「ルカによる福音書」9章1~6節)

 この「ルカによる福音書」の引用部分において、イエス様は弟子に「旅には何も持って行ってはならない」と言いましたが、それは本当に大切なもの、すなわち物質的なものではなく「心」を頼りにすることだといいます。これからそれぞれの場所に旅立っていく高3生たちも、その行先は神様から召されたところであり、お互いに喜びをかみしめながら生き、また不安な時こそ神様が支えになっていることに気が付くことができると、神父様は教えて下さいました。

 これから自らの道を歩んでいく高3生にとって、いつでも共に歩む存在がいることを実感し、またその実感を与えてくれた今までの日々に対して心からの感謝を捧げられたひと時でした。

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